夜は早く寝て朝からがむしゃらに働け

最近のもっぱらの悩みというか疑問。自分に頭脳を使う仕事が務まるのか?-ということである。「やってみなはれ」(松下幸之助)の言葉をこんなところで都合良く流用してもよいものか?特に人間同士のぶつかり合いとか機転の利く言葉を瞬時に返すことがあまり得意ではないどころか全く自信がない、そもそも根本的に喋るのも好きではないどころかはっきり言って嫌いだ。よくもまあこれでお笑い芸人をやってたなと思うが(「まあ案外芸人さんは普段静かな人多いんですよ」にどれだけおんぶに抱っこで助けられてきたことか。)ほんと若気の至り過ぎて怖いというか引く我ながら。まあでもともかく向いていようがいまいが(たとえ「向いて」いたとしてもそれ一点のみで業界をごぼう抜きできるほどどの世界も甘くはないだろうけど)要するに向いているか向いていないはそれにどれだけこだわって時間を掛けたかの「差」でしかないんではないか?(特に短期間ではそれが顕著で短期間だけなら一時的に才能のあるやつを凌駕することもある。だが長期間になるとやがてその真贋の差は露見して、その時までにいかに磐石で強固な城砦を築いていたとしてもやがて本物の才能を前にその城は瓦解する)そのことで敗れ去るもののことを馬鹿にするつもりはない(むしろそこまでに王国を築いてきた手腕を高く評価されて然るべきだ)だがその才を持ってしても生き延びられぬ容赦ない(ある意味で差別のない)峻厳な世界だトップ中のトップの世界は。行ったことないけど。それはともかくとして私の場合は(それとは全然関係のない)低い場所で「才能」というものにただただ翻弄され続けたいままでだった。それだけに今後は時間をむだにすることは避けたい。結局は生まれ持った「才能」×「環境」だとおもう。「才能」×「努力」それに運と行動力も。最初は自分にホワイトカラー的職業やれんのかって話だったのに知らぬ間にこんなところまで流されてきたが結局やれるだけやってみてダメでしたでもやらずに違う道に進んだとしてもそれがお前の選択だったという事実があるだけでどちらをとってもやがて力ずくで自分を納得させるのが人間だ。特にオレみたいに我田引水して自分本位な解釈をする人間は多いと思う。要するにこの長い逡巡の結末は"今すぐスマホを置いて明日に備えて早く寝ろ"ということだ。寝ながら自分のピークがどこにあったか考えると泣きながら塾の宿題をして限界を突破した(ように感じた)中二時代を思い出した。それからずいぶん時間も経つのにこの時のことが人生のピークとは悔しいじゃないか。これからあの時を超える努力をして最高の結果を出したと言える黄金の40代50代にしたいではないか?(てかお前40代でまだそんな青臭いことを夢想しとんのか)笑ってやってください。私ははよう寝てまた朝からがむしゃらに働きますけ。さいなら。