世界の辺境とハードボイルド室町時代

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先に「辺境の怪書 歴史の驚書 ハードボイルド読書合戦」という同じ著者同士の対談の本を読んで、それがあまりにも面白かったので第一弾のこの「世界の辺境とハードボイルド室町時代」を手に取った。そもそものきっかけは、ちょうど出版されたばかりの「辺境の怪書〜」が話題の本のランキングの中にあって装丁がその中で断トツにかっこよくて目を引いたからだった。それプラス高野秀行さんをTBSの「グレートジャーニー」で観て興味が湧いたので読むことにした。本文の中で場所や人種などは全く関係なく人間が進化?変化?する過程で多くの共通点があるというのはとても興味深かった。人間が自ら変わっていくのではなく自然にあるいは必然的にその変化が起きている、と。人類史という大きな流れの中で捉えるとそれが意図せずに必然とそうなるということがとても不思議で面白かった。そして本の中で辺境と室町時代のことを専門に扱っている辺境作家と中世歴史学者ということでけして大きな経済圏の分野ではない2人だから、おのおの食べていくための苦労などが、フリーランスとしての大変さなどが書かれていてそこがとても共感した。(自分も一応フリーランス、フリーターみたいなもんなので)、苦労がまざまざと目に浮かぶ。こういった決してメジャーとは言えない、いわばパイの小さい分野で活動する人たちの存在というのは、(自分を棚に上げるようであるが)、非常に大事なことである。やはりメジャーだけに大半の人の意識は向きがちだが、(そういう自分もグレートジャーニーというメジャー番組で高野さんを知った訳だけど)アンチメジャーというわけではないが、それでもやはり人が目にしないようなところにも必ず価値はあると思う。それがインディペンデントの存在意義であるし、多様性と可能性があると思う。文中その世界のプロの人でも、アフリカの友人に対して「もし自分がアフリカに生まれていたら、自殺していたと思う。」というようなすごく想像力の欠如した、傲慢な態度=メジャーな人間が陥りがちの多数派の思考(これは自分自身も注意しなければいけない。その考え方に知らぬ間に陥ってしまう)それは多数派の無意識の暴力といえる。特に日本人にはその考え方が強い、いわゆる常識人の一般常識の普通という概念、これは気をつけたい。自分1人がマイナーとして存在することを恐れてはいけない、卑下する必要もない、またその人たちの気持ちを分かろうとしなければいけないという事は常々考えておく必要がある。また第3弾を是非期待したい。またカッコいい装丁が楽しみだ。