ベジータ、サスケ、爆豪
主人公を際立たせる為、より効果的なライバル役、敵役として存在しているベジータ的な(ヒーローアカデミアでいう爆豪的な、ナルトでいうサスケ的な)ドS気質の上から目線の性格のキャラクターが決していつの時代もその本編の主役になることはないのだと考えると(スピンオフや連載が長くなれば当然フューチャーされる回もあるが)彼らの主人公を食おうとしたり苛めているようにみえる横やりやチャチャなどの「イキり」や「イキガリ」がとてもかわいく甲斐甲斐しく思えてくる。(もちろんいつも被害を被る主役はたまったもんではないだろうが。)だがこれが彼らなりの懸命な自己アッピールなのだと分かればついつい同情したくもなる。もちろん彼らにそれが知れたら「舐めるな」と一蹴するに決まっているが。彼らの苛立ちは申し分ない自らの出自や実力にかかわらずポジションが今後(実力で上回っていたとしても)絶対に変わることがないことを薄々感づいているからではないか。早稲が晩稲にまくられるようにそう遠くない未来、器の大きさを見せつけられて大逆転されてしまう恐怖におびえているからではないか。それを知ってか知らずかのほほんとしてお人好しにもほどがある無頓着な主人公の態度を見た時にイラっとしてしまう気持ちは分かる気がする(当然その怒りは主役や視聴者にはてんで伝わらない)そう考えると彼らもまたとても人間らしい悩みや葛藤を持つ者だ。これがスピンオフの回に発表されれば視聴者の共感を得て人気が出るのだ。人気が出れば不思議と主役にいちゃもんをつけなくなる。だから彼らが助かる方法はひとつしかない。自分の人生を生きよ、己が人生の主人公たれ(他を気にするな)という主人公と同じ生き方をすることだ。