生きる意味を問う

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著者が色んな雑誌や媒体に書き残したエッセイをテーマ別にまとめたもの。内容や書かれた時期にも幅があるが、三島の考えの一端に触れることが出来る。内容はいつも難しいが、偉人の思考回路に素読的に触れることもまったくの無駄ではないと信じたい。2回3回と読むうちに変化があるだろう、その為にはまず1度読まないことには何も始まらない。印象に残ったところやメモしたところ。「服装が先か、肉体が先か」東洋の男の服装において、肉体の線を出せば出すだけ、権力乃至地位の威厳と抽象性が弱まると考えられた。服装とは、いかにゴマかしても、性の特質を、攻撃的戦闘的な男性の特質を表現するものに他ならぬ、ということがはっきりにするにちがいない。服装とは性的なものである。/ボーヴォワール現代社会では、男は『男性』のみならず『人間』を代表し、女はこれに反して、『女性』だけしか代表しない」/男は一方ではおのれの自我の貴さに誇りをもちながら、一方では全体のために容易に自己放棄を行う/女は日常的現実性に足ぶみしているのが多く形而上学の世界とは縁がない/この辺りの考え方は決して現在とは折り合いがつかないだろう。三島の生きた時代からだいぶ隔世の感がある。/青年について。たえざる感情の不均衡、鼻持ちならぬ己惚れとその裏返しにすぎぬ大袈裟な自己嫌悪、誇大妄想と無力感、何の裏附けもない自恃と、人に軽んじられはせぬかという不安と恐怖、わけのわからない焦燥、わけのわからない怒り、…要するに感情のゴミタメである。/真にナショナルなものとは何か。それは現状維持の秩序派にも、現状破壊の変革派にも、どちらにも与しないものだと思われる。現状維持というのは、つねに醜悪な思想であり、また、現状破壊というのは、つねに飢え渇いた貧しい思想である。自己の権力ないし体制を維持しようとするのも、破壊してこれに取って代ろうとするのも、同じ権力意思のちがったあらわれにすぎぬ。また再読したい。