悲観する力

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生きていく上でのリスクを回避する為の技術としての「悲観」する力、森先生独自の観点から説いた本。だいぶ多いが気になった箇所を引用した/「こうすればああなる」式のハウツー本のような単純化した考え方を真に受けてしまうのは「楽観」である。つまり「こうしてもああならないのでは?」と疑うことをしないからだ。/「楽観」の原動力となるものは、期待であり願望である、この意味でギャンブルの動機が「楽観」にあることは明らかといえよう。一方「悲観」の原動力とは、期待や願望の自制である。これは、期待や願望が、未来予測を鈍らせる結果になるとの強い反省を主導した理性による。/この社会での成功者は、平均的な大勢の中から、どのようにして抜け出したのだろうか。これは、古来まったく変わっていない。未来を見通し、人よりも早く的確に行動すること、そしてそれより多くの他者に認められることだ/「アマチュアは、プロでも失敗するかもしれない難しい手法で作ろうとするが、プロは、誰がやっても絶対に失敗しない確実な方法で作る」/五十パーセントの確率で起こりそうな悪い事態は、七十パーセントの確率で起こる、あらかじめ二十パーセントを加算しておく、これを「安全係数」という。/悲観の手法一.AならばBといった決まりごとが絶対ではない、と疑う。二.こうだと言い切るような発言に対して、例外を探す。三.見込める効果を小さめに評価し、それでも全体が成立するか検討する。四.多数意見を鵜呑みにしない。五.都合の悪い事態ほど優先して考える。六.できるだけ多数の視点に立って考える。七.自分の説明が相手に理解されないことを考慮しておく。八.周囲からの評価を期待しない。/考え続ける人間になろう。人間は、自分が望むとおりになる、これは楽観ではない。明らかにそう観察される客観的な事実だ。考えて行動した人が、考えたとおりの結果を得る。結果を得られない人は、考えていないからそうなった。差は考えたかどうかである。/絶対に失敗しないと言いきれることが、自信ではない。やれることは全部やったと言いきれることが、自信である。したがって、自信を持つことは、自分には届かないものを明らかにするし、プライドを持つことは、すなわち謙虚になることでもある。自分に自信がある人ほど、他者に優しくなるのはこのためだ。「悲観」を向ける第一の対象は、自分だ。しかし、自分を卑下することではない。自信をもって自分を悲観することが、自分の可能性を広げるし、成長する原動力となりうる。自分を悲観する者だけが、自分を信じることができるだろう。久しぶりに出ました僕の文書上のギャグ「示唆に富む〜」です。また別のエッセイも読んでみるよ。