政教分離

この先おそらく政教分離が声高に議論され始めることになるかと思うが大前提として押さえておくべきポイントは政教分離と言うのは宗教が政治に参加することを禁止しているのではなく政治が宗教に介入することを禁止している法律だということである。ようは矢印の向きが違うのだ。だから特定の宗教団体と政党が一体となっている公明党の様な組織でさえも問題がないという認識を司法が出している。これは考えてみれば当然だがこれを禁止してしまえば特定の宗教を信仰している人間それこそ仏教やキリスト教のような宗教を信仰している人間は政治に参加してはいけないことになってしまう。日本は無宗教の人間が多いイメージだが海外の人は信仰を持っている人の方がはるかに多い。そういう人たちの参加を拒否することは事実上民主主義の否定であろう。特定の宗教を持った人間の政治活動を制限することは憲法に保障された信教の自由を侵すことになる。では今回の統一教会の件はどこに問題があるのか?統一教会が陰に陽に献金をしたり秘書として政治家の事務所に人間を送るなどの行為はあくまで政治に参加する主旨であれば問題はない。だがそれとは別に宗教団体が活動する中で信者に多数の献金を半ば強制的に強要したりそれが原因で自己破産や家族や親戚中に甚大な被害を出しているのだとすればそれは問題でありそしてそれを政党に深く食い込み癒着的な関係を作ることによって批判をかいくぐり免れる為に利用されていたのだとすればやはり大問題である。政党や政治家が犯罪行為に加担していると言われても致し方ない。これは政治が宗教に加担した政教分離ではなく宗教が政治を利用した構図だ。カルト団体がひきおこした社会問題に権力がお墨付きを与えてしまっているかのような印象を与えているそのことこそが問題なのだ。今後どこまでその利益供与関係を許容するのかどこまで世間が透明性の高さを求めるのかその規制作り物差し作りが早急に求められる。

参院選を終えて

終わってみれば与党の圧勝という結果だが、選挙戦最終盤に起きた元宰相への凶弾が意図せぬ形で宗教団体のカルト的な内実を暴き結果犯人の復讐が果たされようとしている。情報が明らかになるにつれ犯人を批判一辺倒で見るのではなく少し同情的な見方をする人も増えたようだ。あの2発の銃弾は保守政党が右翼が一番嫌いな韓国の宗教団体と裏で長年繋がっていたという皮肉をもたらし、野党の側は選挙の大惨敗を喫したにも関わらず選挙後に思っても見ない千載一遇のチャンスが舞い込んで来たのにいまいちこう静かなのは野党も多かれ少なかれ同じ穴の狢ということか。結局この国の政治家とマスコミに一番騙されていたのはそれを知らされず知ろうともしなかったわれわれ愚鈍で従順な国民に他ならない。あの凶弾は自分達の胸にも被弾していたのかもしれない。

43歳の逡巡

まだ全く仮定の話なのでただの戯言の範疇の話ではあるがそして何を甘えた子供じみたことをその年にもなって(ましてや子供もいる身で)おまえは執着しているのかと叱られ呆れられるかも知れないが目下馬鹿は馬鹿なりにというか馬鹿だからこそ思いついた思い付きをここに告白する。

それは家族3人で東京へ進出しようではないかということである。なんだそんな事かとあきれられたかも知れない。それはそれでごもっとも致し方ないが本人にとってはとてつもなく重大な決断だ。

コロナ禍のどさくさに紛れてバイト先のルート配送会社に正社員で雇ってもらってやっと得た小さな安定を捨てて再び荒波渦巻く大海の中へ何の勝算もないままに漕ぎ出そうというのだ。正気を疑われても仕方がない。そんなことに家族を巻き込んでいいものか。だがしかし一度は東京で勝負をしてみたい。そんな気持ちが昔からずっとある。こう書くとお笑いで勝負しに行くみたいだがそうではない就職するだけだ。それなら別に進出ではないただの転職だ。もちろんあわよくばしれっとワンチャンの気持ちも当然あるがそれは限りなく0に近い可能性でもファイティングポーズだけはとっていようという(他人から見たら悪あがきともいう)スタンスなのだ。それと居る場所が実は大事なのではないかという長年の疑問をはっきりさせたい気持ちも少しある。 他には今やってる配送の仕事の人間関係がイヤだということは今回上京を考える契機となった。さらには法律系の資格を取ろうと勉強を始めたが(取得後の上京を見据えていたのだが)思っているよりも時間がかかりそうだと分かったことも大きい。そう考えると初めの計画からだいぶ狂いが生じてきているがそもそも誤算だらけの人生だ。いまさら些末なことを気にしてもしょうがない。状況を踏まえて計画を改訂していくことは当然だ。初めは配送の仕事を基本保証として考えてさらに上乗せで資格の仕事をしながらやがて資格で一本化を図ろうと思っていた。が勉強時間を確保することが難しいのでひょっとしたら司法書士事務所のアルバイトをしながら勉強をするのが良いのかという気持ちも湧いてきたのだ。収入は無論減ることになる。というより雇ってもらえるかどうかも疑わしい。それは少しリスクだ。結局は本人たちがそれを納得するかしないかしかないがそして人は何をやっても後悔するのだろうが特に俺の場合は。

 

書いて少し落ち着いた。

そう考えるといつ行ってもいいような気がしたがそれだけに踏ん切りをつけるのが難しい。妻と相談しながら考えよう。結局実行に移しませんでしたとなるのかも知れないし(その方が幸せな気もするし)まだどうすれば良いか分からない。

令和三年度行政書士試験を終えて

今年の5月末に行政書士試験の本を買ってから勉強を始めて5ヶ月くらい。今日初めて行政書士試験に挑戦してきた。結果は正直芳しくないだろうが始まるまでは余り緊張せず変な自信だけあってだからこそきっと試験途中で打ち砕かれてショックの余り会場で泣く狼狽える放屁するなど醜態をさらさないようにだけ心がけていた。試験が始まってすぐまずは1番勉強してきた行政法に取り掛かる。行手法と行審法と行訴法と見ていくと意外に思ったより解答でき「あら?これひょっとしていけるのか?」とコンパでいけそうな女の子に出会った時のような僥倖に一瞬色めきたったがこういう時えてして連れのブサイクな女のノリが悪いように隣の行政法総論や地方自治法がすこぶるノリ悪くチッと思った。(実際はもちろんこんな余裕ありませんでしたけども)まずはひと通りわかる問題を答えてマークを埋めていこうとあとに熟考する時間を残す作戦。最初のページに戻り基礎法学憲法を見ても難しそうならばと次に点が取れるとアテにしていた一般教養を見てもそこまでええ奴じゃなく民法商法20択記述式と見終わったが誰もこちらに微笑みかけてくれる者はいなかった。気がつけばすでに1時間。解答欄は行政法と一般教養の少ししか埋まっていない。「だはー」と宇多田ヒカルのような吐息をもらし天を仰ぎながらもう一度とっかかり始めたが時間が経つ感覚が普段より早い。青春か。このままだと全問書けないと焦り始めとにかく全問マークを付けよう(通称マークパンサー作戦)に変更した。総員総攻撃の構え。始まる前は時間を出来るだけ余らせて早めに帰ってコンパの高嶺の花が終電の1時間も前に帰るやつをやってやろうかとか思っていたのに(なぜこんなコンパの一連が続くか定かではないが)気がつけば時間に追われ途方に暮れ全て埋め終わったのが試験が終わる40分前だった。全60問3時間のテストで2時間20分が経過していた。そこから行政法と一般教養は見直せたが他には手が回らず結局最初に一回マークしたきりになった。あっという間の3時間。反省点は色々あれどとにかく終わった。一番最初に思いつくのはもう少し試験慣れしておく必要があったということだ。事前に一回だけ模試を受けようか迷ったがお金とあかん全然無理やわとなるのが怖くて結局受けずじまいだった。本気で受かる気なかったんか?と詰問されたらぐうの音も出ない。来年は事前に模試受けよう。事前に緊張しとくのは有効だ。来年の自分のために書き残しておく。

 

ここまでまだ答え合わせをしていないので一縷の望みをもって書いてしまっているが。そろそろ現実をたたきつけて打ちのめしてやろう。

結果速報を見て最初の法学が8問中6問くらい取れててこれはと沸きたったがそのあとの民法商法が壊滅的で最終140点くらいじゃないかと予想している。けれど予想よりも善戦してたので嬉しかったしちょっとオシッコ漏れた。来年こそは受かろうと次の日からモチベーション高く勉強している。一年は思ってるよりも長くない。

立憲民主党代表選

立憲民主党の枝野代表が今回の衆院選での結果を受けて代表を退いた。新しい代表は誰になるのか正直候補者の顔と名前があまり一致しない。かろうじて今年Netflixで話題になったドキュメンタリー「なぜ君は総理大臣になれないのか」の小川淳也が出馬意欲を示しているらしい。新代表は新しい立憲民主党のイメージを大胆に分かりやすく発信することが大事だろう。思い切って世代の若返りを図り女性を多く登用するなど刷新されたイメージが必要だ。ガラッと変わったなと思われなければ若い人からの支持は得られないだろう。その点現時点では維新と国民民主党が存在感を示している。埋没しないように常にメディア受けの良い話題を持ち出しあの手この手で国民の危機感を煽ってくる。それにいかに対応するか。新代表となる人物の責任は重い。今回はどうなるか分からないが小川の名前は今後よく聞くことになるだろう。彼の議員人生にとっておそらく最大のチャンスが巡ってきている。ここで勝ち上がることが出来るか?負けて河野太郎の様にように潜るのか。俄然注目していきたい。今月の30日に新代表が決定する。

 

 

選挙戦のまつりのあとで

選挙戦が終わって次の日に維新の松井代表が来年の参院選改憲の投票をするべきだという話題をいきなりぶち上げた。維新を支持して投票した有権者の中にはそのことを考慮せず投票した人もいたはずで突然後出しジャンケンのように言い出しことに驚いた人も多いだろう。大体選挙中にそのことについてほとんど言及していなかったのだから当然と言える。又こういうセンシティブな議題は勢いのあるうちにねじ込んでしまう類のことでは絶対にない。維新の会は支持母体がないので唯一の支持母体と言える「風」を読み「風」を捉えている間にことを進めてしまおうという底意が見え隠れする。だがその辺りは時期尚早に過ぎるし強引にことを進めれば又大阪都構想の二の舞にいや三の舞になりかねない。そしてそれはそのまま自分たちの勢いを失うことにもつながりかねないのでここはせっかくピリリとしない政局で出始めた存在感を生かして今のうちに吉村人気頼みからの脱却を図り地道な党勢拡大を目指すべきだろう。次の顔を一人でも多く作っておくべきだ。カリスマ的な人気だけで国の重要政策が決定できるほど単純ではないし複数の顔が見える政党こそ本当の(風頼みでない)自力ある政党と認められる。

 

選挙戦からしばらく経って出て来たニュースによると維新を支持する層は30代40代が一番多いらしい。その他の既存の政党は50代60代以上が多いという結果だった。若い層を掴んでいるのは維新が頭ひとつ抜けている。何か変えてくれそうな雰囲気を国民は欲しているし若い世代は政治家が考えている以上に疲弊しているのかもしれない。その意見を掬い取ってくれそうな維新に支持が集まるのは当然のことなのだ。その辺りを他の政党は真摯に見習うべきである。こういっては何だが年寄りばかりが政治運動に熱心でも若い人たちは魅力を感じないだろう。自分たちと変わらないか少し上の世代の人たちが頑張っているとなれば少しは共感を得られるはずである。世代というものは実は侮れないとても大きい枠組みだ。その辺りはメディア戦略も含めて他の与野党ともに考え直す時期に来ている。

 

今回の選挙の結果で一番気になることは当選した議員の女性の割合が10%にも満たなかったことである。そのことについてもう少し活発に議論されるべきはずなのだがそこまでの盛り上がりはない。相変わらずのこの国の反応ではある。もちろん意識の変化には時間がかかるしセンシティブな話題なのは理解しているが、この国に限らずヒステリックに女性の権利を訴えるフェミニストとそれを揶揄する男性の構図が固定化されてしまっている今これ以上の進展はひとまず望めないのかも知れない。ステレオタイプではない別の切り口からの変化あるいは浸透が必要だろう。日本では私は数字の上だけでも25%達成させてから色々調整するやり方があってもいいのではないかと思うのだがこの国はまあ絶対しないであろう。そのことはいくら強調してもしすぎることはない。

何故そこまで女性に期待するのか。それはもうおそらくこのままいくと改憲の流れは止められないと覚悟したからだ。私自身はアメリカにいいように使われるだけになると思うので改憲には絶対反対だがその方向に向かう公算が高い。ならばそれを止められる最後の砦は女性しかいないと思ったからだ。女性が意思決定の50%を占める時(25%でもいい)戦争に向かうことを止められるはずだと思ったからだ。これはもう願いというか祈りに近いのかも知れないがもうそのぐらいの窮地にまで立たされているそんな実感を私は持っている。この考察が外れることを私は願って止まない。

 

衆院選2021

今回の選挙をどう見るか?結果としては維新の一人勝ち状態であった。自民の批判票が維新に流れた形になる。今後の政界再編の流れに大きな存在感を表わした。立民共産などの野党は候補者を統一して分散することは免れたが大きなプラスになった訳ではない。自民からの票を取り損ねた感はぬぐえない。野党第一党としてはもう少し議席を確保したかった。/今回もう一つ目立ったのが新しい風が少し吹き始めたことだ。それは国民の政治への関心の高まりである。微増ではあるが投票率も上がり芸能界からも投票行動を促すアクションを起こす若い世代のタレントたちが多くいた。これはここ30年近く見られなかった兆しだ。まだ小さな芽にすぎないが今後大きく育つ可能性はある。政治に対して一定の距離を取り続けた国民に再び政治の季節が巡ってくるかも知れない。又もう一つ驚きを与えたのが自民党をはじめとする大物議員の落選だ。まさかと言う人が議席を失っている。油断すると自分も狩られるかも知れないという緊張感を思い出させることは国民にとって良いことだ。ふんぞりかえっている偉い先生は令和の時代に必要ない。自分がチェックしているいわゆるインテリの人たちはほぼ反維新の人が多かったが今回の結果をどう考えるか。テレビに出過ぎだとかマスコミアピールが上手いとかはあるだろうが今後もそれは続く。その上で過激な方向へと舵を切らさせないことが重要だ。アクセルを踏みながらでの判断は時に致命的な判断ミスを起こすことがある。これまで以上に反戦を掲げる公明党のブレーキ役が重要だ。壊れたブレーキではどこまでも突き進んでいってしまうかもしれない。それだけは避けねばならない。結局のところ政治の世界は「ハレ」よりも「ケ」の方が大事だ。一見地味で面白味もない真面目なことに実は価値が高い。パーティーの終わったそのあとが大事だ。持続可能な発展していける国の仕組みを未来へと残すのは今の世代の務めでもある。その為にどうすればいいのか?いよいよわれわれひとりひとりが考えて行動しなければならない。最後まで希望を捨ててはならない。あきらめたらそこで試合終了だ。