安心社会から信頼社会へ

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凄く面白かったが、凄く難しかった。

 


ほぼ日の糸井さんが、この本と「情報の文明学」という本をほぼ日の父と母と書いてあったので、興味を持って読んでみたのだが、今のほぼ日の組織を作る上で参考にしている意味が分かった気がする。

 


日本のこれからを占う上で、以前からの終身雇用型、ムラ社会のような日本型システムが立ち行かなくなってくる今後を予測して、信頼を元にした信頼社会を築いていくべきだとする。

 


これは要するに、少し前に読んだ「弱いつながり」のことだと解釈した。以前は内側に入れさえすれば安心して信頼できたが、これからは外側に出て尚、内側のように相手を無条件に信頼するということ。そこにしか活路はないということか。またSNSの時代がそれを可能にしている。

 


だが、本当にそうなのだろうか。またなぜそうならざるを得ないのであろうか。

 


ショールームの前田氏曰く場末のスナック的コミュニティを作ればこれからどんな人でもアーティストとしてやっていける。と言っているしこれは真逆のことの様に感じる。また最近観に行ったプロ野球などは完全に球団のファンは内と外を作っている、それがよりそのチームのファンになる動機になっている。だから相手チームに対してはリスペクトと程遠い罵声を浴びせたりする。そしてAKB系のアイドルはそのシステムを利用して公式ライバルを作ってファンの敵対心を煽って商売に結びつけている気がしないでもない。違うかもまけど。

 


こんがらがってきた。

 


文中の「針千本方式」というのは、ブロックチェーンがそれを可能にすると思った。

 


山岸先生はそういう技術が出てきたらと書いていたがまさにそれは、ブロックチェーンのことだろうと思う。中心がいなければ、またそれを多くの人が信用すればこれほど平等を体現したシステムはないと思う。今とても不安定な時期なのは間違いないが、何とかシステムとしてうまくいくように期待したい、あとちょっと投機的にも儲けたい、いや儲けたい。今2万が2千円になってる…

 


ともあれ早く世の中の権力が弱くならざるを得ないような状況になればいいのにな(それはなかなか難しいし不可能に近いのだけど少しでも今よりより平等に近づける)と夢想している。

 


何だか余り著作の内容と関係なくなってしまったので、感心した部分を

 


たとえばサーストンによると(中略)知能が七つの主要な能力にらわかれるという。その能力とは、言語理解力、言語流暢性能力、数能力、空間視覚化能力、記憶能力、推論能力、知覚速度能力です。

 


一概に能力が高いとか低いとかはないということだ。

 


自分と他人の内面を理解し、その理解を対人関係における自分の行動のコントロールに使うことのできる能力が、社会生活を送っていく上できわめて重要な役割を果たす。

 


激しく同意した。そして最後の行。

 


われわれが直面している変化は、新しい文化の創造のプロセスなのです。そしてこの新しい文化の創造のプロセスは、われわれ一人一人が新しい社会的環境へ創造的に適応することで参加することのできるプロセスなのです。

 


不確定の未来に勇んで飛び込めということか。