「有能さ」とは結果を出す力?すなわち「アウトプットを出す力」。なのか?
〇朝起きてメールチェックした時に読んだメールから考えたこと。
いよいよ「これからは自助努力なしでは幸せになれない」時代において
必要な自助努力は何か?という質問に対して多くの人が答えにあげる「読書」という
行為。だが著者は結果を出すために必要な準備としての「読書」であるかを問うことが
重要だという。要はアウトプットから考えて「自分はいまどういう結果を
出そうとしているか?」「その為に読書をする必要があるか?あるとすれば
どんな本を読めばいいのか?」を問うことが大事だと。つまり「有能さ」は
結果をだす力であり、すなわちそれは「アウトプットを出す力」にほかならない
からだとあった。「なるほどなぁ」と唸った。
確かに出したい結果を、あるいはなりたい自分の姿を強烈に欲して想像し
その為に必要な力を身につける為に必要であろう努力は何かと考えてそれを
身につけるべく不断の実行をすることが大切ではあるし、現に今それをやり始めて
いるけれど、ちょっと待てよ。これはよくいう「最適化」の罠ではないかとも思った。
この体力勝負の「最適化」の先には何があるのだろうか?とも思った。
不断の努力の元最適化の末にやがて幸運にも結果が出せたとして
その先に待っているものは何か?を問うた時意外にも無駄だと切り捨てた部分が
実は大事な「身」であり「財」であったと気づくことがあるような気がしない
でもない。それは結果を出してから考えても遅くないのかもしれないが…