やってしまった
もう何回目になるだろうか?
文章を書いていて読み上げ機能を使っている時にすべてデリートしてしまうのは。指の間からすり抜けていく砂のようにそこにはもう取り返しのつかない無だけが広がっている。さっきまで子供たちの声がこだましていたが今はもう誰もいない夜の公園のようにどこか清々しいくらい悲しげだ。ただただ悲しむだけしかできない。盗まれた原付が目も当てられないくらいにボロボロにされて帰ってきた時のような、注意してたにも関わらず大事な壺を割ってしまった時のような、覆水は盆に返らないことまざまざと突きつけられる。なす術なく立ち尽くす。壁を壊して侵入する巨人をただただ見ている。わずかに残った頭の中のつたない記憶を元に復元する作業の虚しさよ。苦労してマイナスを0に戻す借金返済のような暗いモチベーション。出来ればこのあともいちいち下書きを保存しておくこまめさと知恵を我に。だがこの先もきっとやるだろう、それは忘れた頃にやってくる。大事な時うまく書けた時に限ってやるだろう。この先の人生でこの事態を0にすることは不可能だ。そこまで自信家でも夢想家でもない。俺に出来ることは1回でもちゃぶ台をひっくり返される回数を少なくするしかない。矢ガモを見ているような、ペルシャ湾の石油まみれのカモメを見ている時のような己の無力さを実感させられる。縁がなかった運がなかったと諦めるほかないのかも知れない。いつもの人生と同じく。とりあえずまた別の文章を書いてみてもいいんじゃない??そういう時に意外とうまく書けたりするもんだとジンクスを作って信じよう。それがせめて前向きに考える方法だ。ほかにいい方法があれば積極的に取り入れよう。前よりも良くなっていればそれを契機にさらに飛躍したと捉えられる。要するにピンチはチャンスという多少面白みにかける方程式だ。