久しぶりの投稿です。

少し前に書いた文章がもう自分の本質を言い表していてまた今その通りに行動しようとしているのだからこれはもはやカルマ以外の何物でもないといえよう。その都度その都度ハマっているものがあってそこからまた違う方へと興味が目移りし三カ月後か半年後化一年後にまたふとしたことがきっかけで元に戻ってくる。それを死ぬまで繰り返していくのだろう。自分に向いているものを探してついに見つかった時には絶頂を迎えて死ぬのかもしれない。だがもうそういう人生を40数年生きて来たのだ、これからもそう生きるのだろう、それでよいではないか?無職で覚せい剤の使用をほのめかしていた男がつかまってその人間がアウディに乗っていた、この男は誰が調べたのか前があってそのときは強盗で8000万くらい盗んだという。この人間とおれの人生はどちらが愉快な人生だろうか?講談の「畦倉重四郎」という稀代の悪人が好き勝手に生きた人生を悪びれずに誇った時それを聞いた大岡越前が「左様か」と一言だけ答えた理由は何なのか?その通りで言い返せなかったのか?言い返しても仕方がないくらい更正の余地のない悪人だったということなのか?おそらくそのどちらもではないか。清く正しく生きても一生、悪逆の限りを尽くしても一生。面白く過ごしても無為に過ごしても人の一生、ただそれだけだ。だからこそどう生きるか。これはもはやロマンの世界。つまりはやせ我慢を通して生きる生き様勝負の世界なのだ。幸い楽に過ごすには長いがしんどく生きるにはギリ耐えられる人生の長さではないか?もうここまできたらあがき続けてみたらいいんじゃない?決して格好の良い生き方ではないがいやそれよりは往生際の悪い無様な生き方ではあるが今世で相方をもう一回晴れ舞台に引っ張り出せるようおれが頑張ろう。その頑張り方が正しいのか意味があるのかは全くわかりませんが。とにかくいま言えることはここにまた戻って来られて良かったってこと。