考えて考える。
ついに6コースで17時前にCKに帰って来ることが出来た。
1週間立てば1歩成長のあとがみえる。やっててこんなに楽しいもんはない。
次はどういう成長がありえるのだろうか?よりミスなく正確に早くもっと楽に出来るようになったあとは一体どういう気持ちになるのだろうか?
来週、再来週、再々来週の次、7月の下旬ころ。最早「飽き」が来るのだろうか?
8月頭には一体どういう気分だろうか?
それとともに俺がやりたいこと文章を書いて作品を作りたいという気持ちはまだ具体的な形が見えないままで、日々をそれとなくやり過ごすかのように、ただ書いているだけなのだが、だがこれが大事だということも分かっている。
「出来る限り書く」から変化しなくちゃならない。
きっといま体力勝負のどぶ板選挙のやり方からの脱却を図るべき時にきている。
カンブリア宮殿のサイボウズの回の編集後記で「情報の共有は手段か目的か?という問いに目的だと思う。人は情報の共有の為に生きている」と村上龍は書いていた。
なんとなくそれに近いことをオレもひしひしと感じている。
スミレはスミレとしてただ咲けばよい(岡潔)
とも近いような?さらに考えてみよう。
勉強のために本を読み、文章を書く、もっと分かるために考える。そうして日が暮れてすべてがわかった時に死を迎えるのでは何の為にいま生きているのかがまったくわからないではないか?
『よこを見ず周りを気にせず生きると楽になる=幸せを感じられる』
あかんまた見失った。また明日考える。