何も言えねえ

今日明日で雨予報が最後になっている。もちろん天気予報はすぐ変わるので「さっきは晴れって書いてたのに次見たら雨に変わってる、許せない!」という怒りやクレームが通じない不当なものだというのは誰でもわかる。けれど予測があってこうなります。その結果こうなります。という方程式を提示されなければ一体どうやって他人を信用することが出来るのだろうか?「言い切ること、ポジションを取ること」が責任ある立場を信頼する根拠ではないか。あなたが言ったから、言い切ったから私は信じたのだと。と書いてから気づいたが世の中には結構そのポジションを取らないあるいは取れない職業などは山ほどある。たとえば競馬の予想屋。この馬はこういう血統でこういう厩舎で調教され今現在の調子はこれくらいです、きょうのレースのメンバーからみると一位を獲れるかもしれませんが隣を走る馬に影響されて委縮してしまうかもしれずそうすれば思うような結果を得られないかもしれません。はい情報料500円。たとえば占い師。あなたはこうこうこういう性格ですね、こういう性格の方はこうなります。いま運気が上がっているのでひょっとするとこうなるのかも知れません。だが思わぬ邪魔が入るかも知れません、そうすればやがて運気はさがりいかんともし難い状況に陥るかも知れません、はい占料1000円。株式トレーダー。ここ最近の市場の値動きはこうこうでもうすぐこの法制が可決されあの議員がこう発言したことでかの大統領がtwitterでこうつぶやきました。この発言をうけて市場が反発し一時は日経平均が2万の大台を切るなど騒然としましたが午後からは欧米の個人投資家がいっせいに買い戻しました。日銀総裁はこの局面をどう乗り切るのか?今後の対応が注目されます。続いてはスポーツです。考えてみればこうだからこうなりますという未来予測などは本当は出来ないのである。なぜならばそれは未知であるから。おおむね高い可能性でそれが起こりうると予想されているというだけである、ただ過去から統計的にそうだったということでしかない。その大前提を踏まえた上で不確定で不安定で不透明な未来の進むべき道を指し示すひとがいたらその人は歴史に名を残す傑物か稀代の詐欺師かそのどちらかだろう。指導者はそれとは別に淡々と実務をこなす堅実なタイプの為政者が望ましい気がしている。政治に求めるものは安定なのだ。ただ政権が安定しすぎると腐敗しやすいのであくまでも政治の安定だ。