8月16日お盆興行

どこにも行けない、何にもなれない。

昨日およそ半年ぶりに漫才をした。体感としてはもっと時間が経った気がしていたがそんなもんだった。大御所芸人がその昔不祥事を起こして謹慎した期間とほぼ一緒だ。ここからまた仕事を始めれば長い芸人人生のうちの一時期に過ぎないのかも知れない。だが我々の場合はまだこの先も活動が出来ない日々は続く。そうすれば当然パフォーマンスも落ち続け気持ちもどんどん離れていってしまう。本当にお笑いをやりたい気持ちが真贋が試されるのはこれからかも知れない。相方には申し訳ないが正直この半年の間に俺の気持ちは完全に途切れてしまった。だが相方の為だと言いながら辞めないでいる、本当にそれが相方の為なのだろうか?おこがましくはないだろうか?お笑いを志す人間に失礼ではないのだろうか?自分にその気がないのならはっきりと辞意を伝えるべきではないのだろうか。そう思った。とても真っ当な意見で少々青臭いが反論しにくい力を持った正論だと思う。だが改めて読み直して思ったことはこうだ。確かにいまこの半年間で気持ちが切れてしまったことは否めないがそれは当然そうだろう。水泳の日本代表選手でさえもモチベーションがさがり練習に行かない日が増えたとインタビューで話していたのだ。その目標があるから頑張れていたのにゴールがなくなって戸惑うのは当然だろう。お笑い芸人として芸人らしい活動の場、舞台に出れなくて漫才やコントなどのネタをしていないからそう名乗る資格がないというが芸人はその昔幇間と呼ばれ座敷で芸者と主人の仲を取り持つものにその起源があると聞いたことがある。元から自分が目指した芸人像から離れているのだ。おれが目指したお笑いは大手の代名詞的な事務所に所属出来なかった段階でそれはかなり実現するのが難しいのは仲の良かった偉大な某先輩コンビが売れてないことが奇しくもその証明になっている。ならばとちがう登頂ルートを探して時間が掛かることは承知でいったん山から降りて再び登頂を目指して別ルートから登り始めたのがいまなのだ。オーケーオーケー。そういうことか。自分でも無自覚に無意識的にしていた行動だが危機意識が生存本能がそうさせていたのかも知れない。ならばおれに今出来ることはこの道を信じていち早くこの山を登りきることだろう。ちがう職業の振りをして●●さんや●●●のように頂点を目指す生き方をする。ちょうどそれは世間と芸能人の間を取り持つ幇間の姿そのものではないか。それはおれや相方が夢見たカッコいいアーティスティックでストイックな芸人の姿ではないかも知れない。面白いことよりも売れることを追求した間違った姿なのかも知れない。だが売れなければゴミ屑のような扱いを受ける世界なのだ。いくらアーティスティックでストイックであろうと売れなければ見向きもされない。だからオレはこの道を登る。相方はその道を登れ。登頂部で会おう。