小雨降る金曜日。

今日は小雨降る中、I市まで身重の妻を迎えに行く事になっている。実に10日ぶりの再会。同棲し始めて8年くらいになるだろうか、ここまで長い間会わなかったのはおそらく初めてだ。今から迎えに行くのが楽しみだ。だが会いに行く間際になると今度はひとりで好き勝手過ごせた最近のこの時間がとても尊いものに思えてくる。当面会える予定がない時は二人で過ごした時間がとても懐かしく大切に感じたのに。そのどちらもを同時に欲している。独身貴族の自由さと夫婦や家族の暖かさを。要するにただのないものねだりの強欲なだけなんだろうが、わがままが通るならわがままでいられることはそんなに悪いことなのだろうか?実はとっても贅沢なことなんじゃないだろうか。みな仕事をし金を稼ぎさらに金で買えるものを買いさらには働かなくてもよいくらいの財産を築くのが目的の人は多いのではないだろうか、もちろん全員が全員そうというわけではもちろんないが、多くの人はそうだと思う。その仕事がやりがいのあるものか生活の為にやってる仕事かは別として毎日暮らしていくために働いてよりよい環境や将来の為の備えをしようと思っている、それが計画通りうまくいけばさらにその上の幸せを目指しさらにその輪を大きく広げていこうとするのではないだろうか。そこで手に入れられる幸せは端から見た時に誰かにとっての贅沢になっている可能性はないだろうか?その幸せが誰かの犠牲の上に成り立つのでなければわがままや贅沢は遠慮なく享受してもよいのだろうか?誰かの犠牲それが人間とか有機物とかの線引きはどこで引かれるべきだろうか?また引かれることそのものが正しいのだろうか?またその「正しい」は誰にとっての「正しい」なんだろうか?自分で最初から読み直し書き直ししていく中で「強欲」という言葉が出た段階で自ずと答えは導き出せたように思う。「強欲」でいる限り幸せにはなれないと。心の平安を確立するためには考え方のマインドセットが必要になるだろう。いよいよ浮世離れしてくるか。おれ。見た目も中身も仏道に寄っていくのか。あまりに世間から離れすぎた考えをしてもいかんのやろけど。だが「平安」を確立したいと欲せば(これもまた欲するものだけど)自然とそこに近づいていくものなのかも知れない。