本多静六「私の財産告白」より

・「儲け口」と助平根性

次に最も注意しなければならぬのは、いわゆる「儲け口」の持ち込みに対する態度である。「儲け口」の持ち込みというのは、たいていウマイことずくめであるが、このウマイことずくめというのがそもそもの曲者である。いったいに人間はだれしも欲がふかいものであるから、そうそうあるはずのないウマイことずくめに釣られてしまいやすい。これはちょっと冷静に考えればすぐわかることであるが、小金が貯まると、世にいう助平根性が出てくるのでうっかりするとつい乗ぜられてしまう場合がある。

 馬鹿に儲かる仕事は、また馬鹿に損する仕事である。馬鹿に儲かって、そして決して損をしない事業なんて、常識から考えても全くあり得ないことである。しかも、そんなにウマイことがあるのなら、だれしもこっそり独りで始めてしまう。そうそう他人に説き歩くものではない。かりにそういう儲け口があるとしても、自分一人で大儲けしようなどと欲張って、身分相応な大口出資を引き受けてはならない。本当にウマイ仕事なら、進んで他人にも一口分けてやるべきであって、もし自分だけの出資で不足の場合には、本人をして他の友人などにも説得させるべきである。そもそも特別な事情のない限り、他の友人が出資を承知しないという場合ーそれ自体がすでにおかしいことと考えなければならぬ。そうして自分以外に出資者がなく、また自分だけの出資でそれが成立しないのなら、仕事はよさそうであるが、まだ時節が至らぬのだと、本人をしてしばらく中止せしめるのがよろしい。

 

・偏狭を戒めよ

前にも述べたように、要するに財産蓄積に成功しようとすれば、焦らずに堅実に、しかも油断なく時節を待たなければならない。いわゆる宋襄の仁で、世の薄志者を気の毒がって甘やかすのも禁物。ウマイ儲け口に欲張って乗せられるのも禁物。つまらぬ侠気を出して借金の保証に立つのも禁物。初めの間は手堅く勤倹生活をつつげていて、急に途中からぐれ出す人々を多く見掛けるが、仔細にこれを調べてみると、いずれも功を急いで不堅実なやり方をしたものばかりである。すなわち実力相当な進み方をしていればよいのに、資産不相応な融資をしたり無理算段の投資をしたり、おのれの器量以上に大きな仕事や、不慣れな事業に手を染めたり、とにかく、いたずらに成功を焦ったり、堅実を欠くに至った人たちが失敗に帰しているのである。だから、少しばかり金ができても、早く金持ちになろうとか、急に財産を殖やそうと焦るのは、たとえ一時の小成功を収めることはあっても、必ず最後はつまずきを招くものであるから、何人もよくよく注意しなければならない。「初めは処女のごとく、終わりは脱兎のごとし」という言葉もあるが、何事をなすにも、最初はだれしも細心に熟慮を重ねる。そうして、その道の先輩や学識経験者の意見を尊重してかかる。ところが、一度順調に向かうと、たちまち慢心を起こして、自分独りでエラクなったような気になりがちなものである。こうなるともう先輩の意見も聞かず、第三者の批判を馬鹿にしてくる。とどのつまりは、無謀な大事業や不慣れの仕事でたちまち大失敗を招くことになる。(中略)したがって、私は事業を守り、財産を守ろうとする者は、常に怠らず他人の意見に耳をかすことが大切であると考える。人間というものは、金がなくても、金ができても、得てして偏狭になりやすいものだ。大いに心すべきである。

 

その他勉強の先回り、今いるポジションの次のポジションの勉強を先行してやっておくこと、職業の道楽化、つまり仕事を道楽とすること、本業第一足ることなどなど示唆に富む内容であったのでメモがてらにここにのこす。また他の著作も読んでみたい。