書く事の効果、歩く事走る事と共通の。

あしたは久しぶりのお笑いDAY。ADとライブがある。久しぶり過ぎて不安も若干あるが出来る範囲で楽しもう。これからネタの振り部分を考える。昨日かいた文章を読んでその他の文章も読んでみたが書いてる内容が被ってたり若干恥ずかしい。だがこれがまさに日記だから良いのだと開き直る。日記はなぜ書くのか?別に誰に見せる訳でもないのに(これは公開しているが)あとで読み返すこともほとんどしないのに、ただその時に思い浮かんだ気持ちを言葉にする、この行為に一体何の意味があるのだろう?あるいは無意味ならなぜわざわざ書くのだろう?思考を言葉に変えることによって新たな思考が生まれ新たな視点から発想が生まれる。その運動を期待して手を動かすのかも知れない、まだ幼い娘を見ていると手足と頭脳が連動しているのがよくわかる。指先を動かすことで思考が生れているのだと思う。散歩や走ったりすると考えがまとまったり頭脳が明晰さをもつように感じるのと同じなんじゃないだろうか?