呪い⇔祝い

自分で自分に呪いをかけるなかれ。

前々回の最後に書いたことについて考えてみたい。

まずは自分の強みは何か?という点について考えてみたい。強みを考える上で妻の意見を思い出すとネーミングセンスだという。それだけで食べていけそうな大きなセンスではないが飼い猫と娘につけた名前をえらく気に入ってくれて(もちろんオレ自身もだが)そこだけはお墨付きと他人の評価を得たということにしよう。それから過去(それが例えどれだけ過去であろうとも)手繰り寄せて思い出すと中学の漢文の先生には俳句を褒められ技術の先生には年賀状のデザインを褒められた。あとは高校の同級生にはヤンキー売られた喧嘩を買った勇気を褒められ野球部の対戦相手の子には流し打ちを褒められ養成所時代は服装の着こなしを褒められいい声だと言われ帽子が似合うと言われ事務所のK先生には演技は下手だが味があると褒められた。あと一番最近ではTwitterで呟きのファンですとつぶやかれた。そう考えるとないないと苦しんできたセンスも実は一部そんなに悪くはないものも混じっているということかも知れない。それがそれだけで食べていけるような大きな才能ではないかも知れないが持てる才能を信じて=自分自身を信じてちょっとずつ力をつけていきたい。そう俺自身も結構俺自身のセンスが好きかも知れないと思い始めているのだ。とポジティブな呪いをかけてみる。ポジの場合は呪いじゃなくて何になるのか?はて?上記タイトルにあるように呪いの反対は祝いだという。あまりピンとこんわ。祝いをかける老婆「おまえは絶対幸せをつかむぞイーヒヒヒヒヒヒ」けっこういいかもね。