自虐の詩 上

f:id:naok1mor10513:20190817103725j:image

 

昔映画が出たのを何となく覚えていたが(確かキャストは阿部寛中谷美紀。他の人をなかなか思いつかない、いいキャスティングと思う。エラそーに上からすみません)作品はもともとはオムニバスで幸江とイサオは数多くの登場人物の中の一組だったらしいが主役に抜擢されやがて現在の形に収斂していったらしい。こういうパターンもあるんやね。面白い。作者の業田良家氏は最近読んだ呉智英氏の著書でその名前をしっかり認識したがいがらしみきお氏と同様その作風が「哲学的」と称されているらしい。確かにここまでむき出しの人間が出てくる作品は落語同様作品そのものが「哲学」に通ずる。文章も出ているようなのでそちらもいずれ読んでみたい。それにしても薄幸な女性というのはなぜこうも魅力的に映るのか?健気でいじらしい女性は女性からみてどうか分からないが男性にはたまらない存在である。何をやっても許してくれるような、絶対的に味方でいてくれる(と思える)ような存在。まさに母親のようなでも母親とは決して違う女性。そんな人が近くにいるだけで本当はとてつもなく幸せなのだが(当人は得てして無自覚だ)周りが別れることを勧めたくなるくらいイサオは自分勝手で甲斐性もない。苦労を強いられ一歩間違えればただのDV男とそう変わらないのだが、惚れた女の弱味なのか?この辺りは尽くしてしまう女性にありがちな心理だろう。おそらく細胞や遺伝子レベルで鷲掴みにされるのだろう。そういう男に嫉妬する男のあさひ屋の主人の方には決して女がなびくことはないだろう。なぜならば男から寄っていくからだ。草不可避。同情を禁じえない。自分を見ているようだ。あさひ屋の主人が腹いせに(これもひどい話)風俗に行く時に店の帽子かぶってるの面白い

f:id:naok1mor10513:20190817103757j:image

(写真①)俺もこれやってみよう。