ゲーテとの対話 下

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ついに読み終わった。初めて上中下巻読み通した。難しかったし分からないことは多々あったがとりあえず初めて世界有数の偉大なもの、崇高なものと繋がることができた。単純に嬉しい。もちろん今回読んだだけですぐに何かが変わる訳ではないが、今後繰り返し再三再四読んでいく(ニーチェ)ことで少しでもゲーテに近づいて行くことが残りの人生を有意義に使うことだと思う。人の使命は生きてきた時より少しでもマシになること(稲盛和夫)ならこの道はきっと正しいはず。まだ全く何も見えてはいないが。この先に生きる糧が見つかるとそう信じてこれからゆっくりと本を読んでいきたい。途中本が古い方のバージョンに変わったのでメモったところが多少食い違っているが何個か引用を。「問題の選び方にこそ、その人がどういう人物であるか、どういう精神の持主であるかがあらわれるものなのだ。さてそこで、人間の精神はそれほど普遍性を持っていないから、すべての問題に等しく才能を発揮し、成果を挙げよ、と望むことはできない。ところで、たとえ、この著者が、あらゆることに等しく成功を収めてはいないとしても、それを扱う意図があったことだけで、私は彼を高く評価できるね。/そこで彼は、読書のむずかしさに触れ、多くの人は、愚かにも、まったく予習もせず、予備知識も持たずに、いきなり哲学書科学書を、まるで小説同然に読もうとする、と言ってからかった。「みなさんは、」「本の読み方を学ぶには、どんなに時間と労力がかかるかをご存知ない。」/「仕事は、私たちを悩みから立ち直らせてくれるすばらしい手段です。」「生きているかぎり、頭をおこしていよう。まだ産み出すことのできる限り、諦めはしないだろうよ。」/「愚昧な輩が、高貴な人間を迫害するのなら、まだしもだ!いや、それだけではない!天分にも恵まれ、才能もある人たちが、おたがいに迫害しあっている。プラーテンはハイネを怒らせ、ハイネはプラーテンを怒らせる。こういったぐあいに猫も杓子も、ほかの者を誹謗し、いがみ合おうとしているが、世の中というのは、平和に暮して働いていくには、十分広くて大きいのだよ。それなのに、めいめいが、自分自身の才能といういわば獅子身中の虫のほかに、ごていねいにも敵をつくり出しているのだからね。」/ゲーテが眼鏡嫌いとは知らなんだ。ていうか眼鏡嫌いて何や^_^/「精神的にも肉体的にも生れつき力のそなわっている人は、きわめて謙譲であるのがふつうだし、逆に、特別精神に欠陥のある人は、はるかにうぬぼれ屋でもあるものだ。情深い自然は、より高い観点に立って劣るところのある者たちに、それを調整する緩和剤として、補償手段として、うぬぼれと高慢を与えられたように見えるね。」「とにかく、謙譲とか高慢とかは、きわめて精神的な種類の徳目であって、肉体とはほとんど関係を持たない。頑迷な人、精神の薄弱な人のばあいに、うぬぼれが現れる。だが、精神の明晰な人、天分の豊かな人のばあいには、けっして現れない。そういう人たちには、せいぜい自分の力に対する満足感が起るていどだ。しかし、この力は事実なのだから、この感情も断じてうぬぼれではなく、まったく別のものさ。」また読もう。